ファミリーヒストリ

風の知らせで私の父親の後妻が静かにこの世を去ったことは少し前に書いたが、本日はほとんどひとつ屋根の下で暮らしたことのない父親について一筆したためたい。今日、実は父の大学時代の同窓生で近所のソフトウェア会社の社長をしている方に新年の挨拶に伺った。そこで話題に私が出した話は、昨日たまたまTVで観たある俳優のファミリーヒストリである。


偶然なのか、終戦間際に海軍航空隊の予科練で土浦に赴任したことが私の父と重なったからである。父は大正11年2月生まれであるが、大学卒業と同時に海軍航空隊に召集され土浦でパイロットの訓練を受けていた。終戦が延びていれば父は特攻隊で戦地に消えていたし、今の私も存在していなかった。専攻は看板の鉱山学科で、終戦後は当時、花盛りの三菱鉱山へエリートとして就職したようである。


卒業して召集され親同士の仲人で直ぐに結婚した。残念ながら1人目の子どもができてから夫婦仲がうまくうまく行かず離婚話が持ち上がったところで私が誕生したようである。産むか産まざるべきか母親も相当に当時悩んだそうだが、叔母から将来のためにも産んでいたほうがいいと言われて産まれたのが私らしい。だから私が母親を死ぬまで面倒を見ることになったのも義務のようである。


母親の一方的な話ばかり近年まで聞いてきたので、ちょっと父親の足跡を辿るために土浦の海軍記念館を近く訪問したいと思う。夫婦間の事情は互いの話を聞かなければ真実は明らかにならないが、父親の話を直に聞けなかった家庭環境だったのでどうしようもない。ただ同業者の社長に同窓生の方の存在があることも稀なので、、私としては昔話を時々聞けるだけでも満足である。