営業の話(その1)

どの業界も成長している時、お客様から電話で仕事を依頼してくる嘘のような時代があった。私も若い頃、そのような電話一本で楽に仕事が入る業界に身を置いていたことがある。ところが、ある時期になると一変に環境が変わってしまった。独立採算制の現場で働いていた社員は9割が土木と機械の技術屋ばかりの社員であった。たまたま文科系大学を卒業したばかりに、現場では「食わしてやっている」と先輩技術者からドヤされたこともある。


いい時代がいつまでも続くはずがないわけで、その後、国家予算も総需要抑制で建設予算も対前年比較でゼロシーリングとなり、業界は建設不況へと突入して行った。特に地方では地元企業優先で工事が発注され、本州大手は厳しい受注環境であった。特に我が社は強力な天下りを入れるほど政治力がなかったようである。それでも本社は売り上げ拡大を各支店、各現場に強いてきた。


そこで、私も机に座って仕事をしているだけでは面白くなかったので、上司の許可を得て営業をさせてもらうことになった。いわば我が社における生え抜きの本格的営業マン誕生のはしりであった。中途採用で営業を外から採用はしていたが、管理畑から新卒で営業へ転換していく社員は少なかった。朝8時始業で、9時前には事務所を出て夕方暗くなって帰社して、それから深夜まで(上司との約束の)管理系の仕事をしていた。


各工事事務所との競争のために、一日中出っ放しで顧客回りと現場回りをしていたので、革靴の底が擦り切れることが多く、気持としては何もご褒美はなくても消耗品の革靴だけは会社から支給ほしかったと記憶している。今の営業にも通じることは、既存顧客7割、新規顧客3割を常にサポートし、開拓していた。ITソフトエア業界は一旦仕事を請ければ数ヶ月以上は飯を食えるが、建設業界では、一件一件がすべて見積もりから受注まで新規案件で消化(開発)も一週間は掛からないで完了する。


業界は違うので単純比較は無理だが、営業の厳しさは比較にならないほどである。案件情報の入手は顧客からの耳寄り情報と業界新聞の入札情報と飛び込み提案だけが主であった。笑い話であるが、「○○が歩いた後は草も生えない」と営業の先輩から皮肉をいつも言われていた。同じ会社なのに独立採算なので各工事事務所同士はそれほどライバル関係にあった。考えてみると、人使いのうまい会社だったからその後業界トップにまで上り詰めたのだろうと考えている。