糟糠の妻は堂より下さず

リベラルな言葉である。ある新聞の論説の一部であるが、この表現に私も同感である。世の中には「世渡りが上手い」人がいる。企業社会でも同じような事が言えるが、それを見抜く力が指導者には必要と思われる。歴史ある日本の大企業でも、子どもの喧嘩のような自分本位の振る舞いが経営層に存在する場合がある。


中小企業ともなれば経営者が度々代わることは、様々な障害上許されないので一挙手一投足を真剣に考えるものである。大企業がそうではないと申し上げているわけではなくて、経営責任が自分の人生にまでに影響が及ぶのは中小企業の経営にあると言いたい。


だから一緒に苦汁を共にした人間を大事にするわけである。単なる要領で周囲を差しのいて出世しても、いつかはぼろが出ると思うのである。政界を観ても「親の七光り」で上に行くとみられている人が多い。「地盤」「看板」「鞄」だけが一人歩きをすることもないだろうが、世襲制がなかなか無くならないのが現実である。けっして否定はしない。


ただ国家や企業を率いる人物として、「経験者の言に耳を傾けよ」という昔から言われてきた言葉を座右の銘として大切にすべきであると思う。それができなければトップの資格はないと確信できる。残念ながら政治の世界を理解していない我々が、国のトップを選べない立場にあるのが現実である。


若干、タイトルを乖離したかもしれないが、長年に亘り苦楽を共にした同士なり妻を、建物から排除することは人間としてやってはいけない、というのが「後漢書」と同様に私自身の人生理念でもある。