日本の農政に一言

土曜日に厚木市郊外で農業体験をしてきました。農家出身の私も高校卒業までは祖父母の手伝いで1人畑仕事などを週末に手伝ったりしていましたが、一番嫌いな我が家の労働の一つでもありました。しかし都会で生活していると、家庭農園を楽しんでいる方が周囲に意外と多いのにも驚きます。


たまの週末に汗をかくのは健康のためにもいいことですが、専業としての仕事であればなかなか継続できるものではありません。引退後、悠々自適に農作業を楽しんでいる人の光景を時々見たりしますが、生易しい仕事ではないのは経験してみればわかります。


日本の農家の平均年齢は60歳以上です。米の自給率も先進国では最低ですが、これも特殊な環境をつくり上げてきた日本の農政の所産物のような気が致します。今回お邪魔した、首都圏である厚木地区でさえも農地が放置されて荒れ地化しているところもあるのが現状です。


首都圏でさえそんな現状ですから、地方の農村地帯へ行くと荒れ放題の農地ばかりです。地方へ行けば山林も叱りです。私が高校を出るころまでは、山林の木々を燃やしてお風呂を沸かしていたものです。風呂焚きも家の仕事の役目として日課になっていました。


小中学時代の水道のない頃は、風呂水まで天秤棒で運んだりしていましたが、ポンプの購入で家の仕事が楽になった記憶があります。今の都会生活では想像もつきませんが、どうやらそのような地方での幼少時の生活経験が、次第に人間を成長させてきたのではないかと考えます。


大人社会で農業体験するのも家でジッとしているよりは楽しいですが、もっと若い頃から農業体験をさせることが様々な観点から大切な児童教育のひとつではないかと考えます。地方へ行くと山林も人が入れないような状態で、長年に亘り荒れ放題になっているのが現状です。


高齢者ばかりの故郷の姿を見ると、我々自身も利益を求めて都会に住みついたことへ幾ばくかの反省をさせられます。しかし、これまでの日本の農政が自給率を含め、若者の雇用に寄与してきたかというと、規制ばかりを温存してきたために農業そのものを弱めて、日本の将来性につなげてこなかったとも言えます。


効率的に生かされない山林や農地がこのまま地方に放置されていくと、いつか海外資本に売り飛ばされる時代も来るでしょう。農政の不作為は日本の領土問題と含めて、将来の日本社会に大変な結果をもたらしかねないような気が致します。