議事録の必要性

国会でも議論になった、原発事故で設けられた対策本部での会議議事録がなかった(あったのかも知れない)問題はよくどこでもあり得る話である。原発事故の場合、緊急事態の発生で関係者もそれどころではなかったのかもしれないが、会議内容の議事録が無ければ後で検証することが難しくなる。政治家は発言する だけで、普段から議事録作成に慣れていないので、いかなる事態になっても関係する周囲の人たちが周到に準備すべきである。


ビジネスの世界でも、後で取り返しのつかない当事者間の言った言わないの議論は、大抵、議事録を残さなかったことから発生する場合が多い。折衝ごとはス ムーズに進んでも、何かトラブルが発生した場合、当事者間の意見の食い違いが必ず発生し、平行線の議論で時間ばかりを要し、お互いに満足して発展的に解決することは少ない。どこの会社も同じで、我が社でも執拗に指示しているが記録に残したり報告書を書いた り、大切なのだがなかなか習慣として身につかないことも見られる。


国会の事故調査委員会参考人招致として菅元総理が答弁していたが、裁判を起こし訴訟で争うこともなければ真相の究明は難しいと思う。畑村氏の率いる政府の事故調査委員会も実証実験を時間と人員を理由に取りやめたようである。国民の目には、日本全体を震撼させたあれだけの大事故を発生させながらも、誰一人として責任を明確に負う ことがないのは、事故に対する組織としての責任の所在が明確に規定されていないからではないだろうか。


翻って、先日、関越自動車道で起きた事故の運送会社が、ずさんな経営実態が警察の捜査による調査で発覚し、運転手は業務上過失致死で、経営者は経営の違法行為で逮捕へと至った。この件と比較してみても、原発事故が明らかな過失事故として刑事事件に発展しないような矛盾した点が、最大の疑問といわざるを得ない。 原発も人命にかかわる重大な運行業務なので、刑事罰を課すような厳しい措置を完備しなければ、関係者の責任逃れは今後も続くだろう。