相互扶助

大学卒業後の最初の赴任地が北の大地、北海道であった。九州西端出身の私にとってはまさか最初から逆方向の北海道勤務になるとは夢にも思わなかった。当時の社内の噂ではどんな理由なのかわからないが出身地と離れたところに敢えて赴任させていたようである。


東日本大震災を契機に日本人の間に相互扶助の輪が全国的に広がったが、昭和50年代に北海道勤務だった時にも、北海道は行政も開発庁として独立した特殊な地域であり、本州の内地とは国の管轄も区別されていた。そんな特殊性もあってなのか、結婚式でも皆でお祝いをしてやろうという相互扶助の心に皆が満ちていたように感じた。


私も入社した早々に結婚することとなり、九州の田舎から双方の家族を招待するのも経済的に大変だったので、二人だけで式を挙げようということに決めた。まず電話帳から教会を探し、何箇所か電話して式を挙げられるかどうかを確認した。多くはクリスチャンでないと難しいという回答だったり、いくつもあっさり断られたと記憶している。一箇所だけ親切そうな教会を見つけて、最終的にはそこで式を挙げることになった。


ただ式を挙げさせてもらう条件として、1〜2週間ばかり夜仕事が終わってから市内の教会に神父様のお説教を聴きに行くことだけは義務でけられた。私はいつも神父様の目の前で居眠りしながら聞いていたことを覚えている。まったく料金はかからず無料だったのだが、気持ちだけということで3万円を寄付した。あとは写真屋を当日手配してくれると神父様が言うので、すべてことをお願いした。


今考えても、神父様は私たちのことを会ってみて同情してくれたのだろうと想像する。当時、北海道の取締役支店長も式に何で呼んでくれないのかと聞かれたので、家庭の事情も話してうまく固辞した。つまり会社側は全員で祝ってあげようという気持ちだったのである。それが相互扶助というものだろうと思う。


驚いたのは結婚式が昼間にやっと終わって自宅に帰っていたら、夕方になって会社の人から電話があり、市内に二人で出て来いということになり正装して行ったらそこは披露宴会場でお祝いのために大勢の会社の人たちが待っていてくれていた。そのとき、この会社の人たちは本当に素晴らしい人たちばかりだと感激した。


このように当時の北海道では会費制で皆で結婚披露宴を行う慣わしがあった。私も何度も社員の結婚披露宴の実行委員の幹事を引き受けたことがあるが、ご両家に代わって結婚披露宴のすべてを取り仕切る、本州では見られない意外な光景で大変素晴らしい仕組みであった。