厄落とし

最近、我が家では「厄落とし」という表現で、諦めきれずにいつまでも悔やむことに対して一定の区切りをつけるようにしている。また「お賽銭」という表現も使うことも多い。例えば金銭的に損をしても授業料とかお賽銭だと思えば諦められるだろう。金銭関係でなくても例えば若いときに失恋したとする。その場合も「厄落とし」と思えば自分自身の慰めにもなる。


こういう私も今だから言えるのだが、「後悔先に立たず」という言葉がある。後になって泣いても呻いても「覆水盆に返らず」で過ぎてしまったことをくよくよしても仕方が無いということである。しかし、人間諦めがつかない場合が多い。恋愛でも結婚でも金銭関係のことでも同じである。「厄落とし」と思ってひたすらに良い方向へ持っていくしかない。


私も今から27年前、まだ若さあふれる頃、妻子を連れて見知らぬこの業界へ足を踏み入れたことがある。今で考えても無謀というしかない決断をしてしまった若い時期がある。30年近く経った今になってみれば結果はご覧の通りだが、当時は会社から親戚一同に大変な騒ぎを起こした経験がある。相当に無謀な変わり者だったに違いない。


おかげで私を取り巻く周囲の皆さんには大変ご迷惑をかけた訳であるが、当時は「厄落とし」どころの話ではなかった。馬鹿としか言えないような綱渡りの人生を自ら選択したのもすべて自分の責任であるから、多少のことは「厄落とし」だと諦めて前進する勇気を若い人たちには呼びかけたい。