年功者を重んじる

子どもの頃からお年寄りの下に育ち、近所のお父さんお母さんやおじいさんおばあさん達が暮らす田舎で育ったわたしは、今でも年配者の方たちと話すのが好きとともに気持ちも合うようである。というより、そんな人生を自ら選択して歩んできたわけではないが、そのような環境におかれてきたせいもあるだろう。ところが今の都会生活では、3世代が近くに住んで時々言葉を交わす機会すら段々なくなっているような気がする。中国では今でも自分の奥さんより親を優先して大事にする慣習があると聞くが、昔の田舎の日本でもそのような親を嫁より大事にする風習が確かにあった。

  わたしの親しくしている年配者の人から以前、「男にとって大切にする優先度は1番が奥さん、2番ないし3番は子どもそして親」ということを教えられたことがある。通常、男はいつも親と奥さんの間に立ってどちらを優先的に大事にすべきか悩むところがあるが、わたしも常になるべく配偶者の立場を重んじて親と言い争ってきたことがある。わたしの親にとっては納得がいかない面もあっただろうが、諦めたのも幸いにして親子の縁が世間様のご家庭より薄かったことが割り切って左右の決断力を後押ししたと思う。

  昨年旅立った母も不平不満の多い性格の持ち主であったが、父より数段子ども思いだったので一つ屋根の下には暮らせなかったが、亡くなるまでできる限りの面倒を見てきた。そのような自分という人間をつくってきたのも田舎暮らしにおいての環境がけるしかし東北の被災地の皆さんの家族の絆の強さをTVで拝見すると、何か都会生活には人間として大切なものが欠けているような気がしてならない。人ごとながら毎日の事件を読むと、家庭そのものが崩壊した結果、さまざまな問題を引き起こしているように思える。

  今更地域振興といっても遅いのだが、3世代が近場で暮らすことにより、家庭のあり方や家庭に対する考え方も親世代に備わってくるのではないだろうか。わたしの知人にも小学校、中学校の教頭、校長をしている者が多いので時々話を聞くが、問題児の多い家庭に限って親たち自体が通常人の感覚から離れているようである。都会で荒れた学校では授業どころではないらしく、PTA対応に追われる毎日らしい。見かけの生活保護を堂々と受けている家庭も多いと聞いている。まったくふざけた話である。幼少時から何とか人格形成に着手しないと、将来いい世の中になるはずがないと考えている。