介護奮闘記

 前編でやっと老健施設への入居に辿り着いた話しをしました。実はこれからがトラブルの始まりです。その前に恥ずかしながらですが、わたしの母という一人の人間のことを話しておいた方が無難だと思います。母はわたしが5歳の頃に父と離婚して亡くなるまで別居生活をしてきました。わたしの記憶でも同じ屋根の下に暮らしたのは、4歳前後の僅かの期間で多少のことは今でも覚えています。つまり、まともな家族生活も営んでこなかったのが母の人生です。当然、人間関係も他人より遥かに下手でした。そのような性格になったのも、自分ひとりで自分の身を長年にわたり守るために仕方がなかったのだと思います。

 ある面、恵まれない可愛そうな人間だったのです。ですから、戸籍からは抜けているといえども、わたしとしては母親のわがままをできる限り聞いてきたつもりです。最初は老健施設も個室なので問題ないだろうと期待していたのですが、決められた時間での共同食事と共同風呂が、それまで自由気ままに暮らしてきた母には合わなかったようです。普通の老人であれば家族生活や地域コミュニティを経験してきていますので何でもないことなのですが、それが問題ばかり起こすことになったわけです。施設側も今まで見たこともない老人だったようです。恥をさらすのもこの辺にしておきますが、施設からのクレームが遠く横浜まで毎日のように飛んできました。

 何とかしてほしいので施設にすぐ来てほしいと、何度も何度も催促をされ続けてきました。普通ですと入居してしまえば静かなものですが、わたしの母は違っていました。ちょくちょく施設を訪ねるたびに、母と顔ゆっくり話をする前に事務所に缶詰にされ、さまざまなクレームを施設長はじめ二人の(最初は)意地悪そうな職員から聞かされました。想像を遥かに超えますが、それが3年間続いたわけです。こちらはわたし一人で対応して来ましたが、最後は追い出されるような形になって入居を続けることをほかの入居者のことも考えて諦めました。施設側とわたしの対立のことは此処では詳しく述べませんが、老人福祉に対しての姿勢について議論を施設側と何度も戦わせました。