芸術家の卵

今、劇場で公開中の「コクリコ坂から」というアニメ映画の製作プロダクションであるスタジオジブリでの製作工程における父子(宮崎駿、吾朗両氏)の物言わぬ仕事場を取材した模様が興味を引いた。

 父君の駿氏は陰で、息子を長嶋茂雄氏や野村克也氏のようには育てたくはないと語っていた。つまり自分の栄光の遺伝子を引き継いでいると錯覚して子どもが過信してしまうので、手取り足取り大事に英才教育と称して教えることが結果的には甘えにつながり、子の成長を止めてしまうということを言いたかったのであろう。

 親子といえども所詮、夫婦の違った遺伝子から生まれてくるものであり、同等というより別人格であるという認識が親にも子どもにも必要と思う。親としても願わくば自分を凌駕してほしいと思うのであるが、表面的には追い越されたくないという思いも親のプライドの片隅にはあるのであろう。他人同士と違ってお互いに変な意地を張る傾向はあるが、時には親子で意見がぶつかり合うのも必要だと思うのである。

 周りのスタッフの支えもあったり、父子の間を正常に保ち成功に導くには人間的に信頼のある仲介者の存在が非常に大切だと映像は伝えているように感じた。さまざまな職場でも同様のことが言えると思うのだが、助言者や仲介者の存在によってトラブルを回避して、人間関係の秩序を保つことが可能となる。

 天才的な才能の持ち主である宮崎駿氏でも、子どもとの関係をうまく運ぶことが苦手だったようである。原因は子どもの成長期に多忙で子どもの相手をする時間もなかったので次第に父子の間に見えない溝ができたとのことであったが、むしろ芸術家であれば個性が強いところもあるので子どもと言えども一筋縄ではいかない性(さが)を持ち合わせているのではないかと考えられる。