禍福は糾(あざ)える縄の如し

人間の幸不幸は、より合わせた一本の縄のように表裏をなしていて、予測できないものであるという意味のことです。どこの夫婦も、結婚当初は幸福の絶頂というほどお互いに仲がいいのですが、年月が経つとお互いのわがままがぶつかって、長い年月の仲で夫婦喧嘩が絶えない時期もあります。


元々が他人同士なので、育った家庭環境も違ってお互いに理解できない部分もありますが、子どもを育てるという面では夫婦が一致して協力しなければなりません。子育ては本当に重要な夫婦の責務だと思いますが、どうしてなのか夫婦での子育てを放棄した離婚ばかりが世間では発生します。


私の両親も幼少時に離婚してしまい、私たち兄弟は祖父母に育てられました。世の中に生きていても、子どもと一緒に過ごさない親は本当の親と言えるでしょうか。子どもを生むだけならば野生の動物でも可能です。動物でも子どもを外敵から守り育てます。自らの手で子どもを育てない親は、親として失格だと思います。


私自身も若い時の夫婦仲は、私自身のルーズさで喧嘩もよくしましたが、子どものために両親は仲良くあるべきだと自分の心に言い聞かせて、人に恥じないように「親の二の舞はしない」という、私なりの人生の鉄則を今日まで守ってきました。私のような生い立ちの境遇に育った人間に嫁いでくれた家内に、心から感謝しています。


長い人生には幸不幸はつき物です。だから人生は紆余曲折で楽しいのではないでしょうか。平々凡々の人生が決して魅力ある人生であるとは思いません。人を怨むな、羨むな、と先人に何度も書から教えられました。お金は人生の手段であって、人生の目的ではありません。「お金は天下のまわり者」だとも教えられました。


常に自分自身を反省し、人に感謝する心を抱けば、人は皆、幸せな人生を最後まで送れるものだと私は確信しています。怨みつらみではなく、一度だけの人生ですから、お互いに幸せな生涯を送りましょうよ!