(雇用も)失われた20年

横浜市戸塚区に居住して24年になりますが、平成2,3年の金融・不動産バブル崩壊後から今日までの大企業の経営戦術の変化を地元でまざまざと感じてきました。ご承知のように戸塚の街は昔から、某大企業様の城下町のような地域です。昭和の高度経済成長時代は、全国各地から多くの卒業生が集団就職で移り住んだところでもあります。


しかし、バブル崩壊以来、失われた20年といわれる間に周囲に存在した専門学校、グラウンド、体育館、社宅、独身寮など、解体されてことごとく消えていきました。若い社員たちが利用していた福利厚生施設の跡地には、いつのまにか何棟もの民間集合マンションが立ち並んでしまい、勤労者の活気もどこかへ消えたようです。


古い工場は次々に解体されて、新しいビルに生まれ変わっていますが、一方では製造業の空洞化というものを肌で感じています。しかし、大企業は業績も落とさず成長し続けていることを見れば、産業構造の転換が着実に行われてきたことを意味します。かつて工員と呼ばれた職種の、雇用としての受け皿は新興国へ移って国内は縮小しました。


年々変化する城下町の街並みを見て、感慨深くなるのはきっと私だけではないと思います。地方からの集団就職の時代も去り、地方経済まで疲弊してきたのが今の日本です。先を見て、経済情勢の変化を先取りして、教育なり経済政策で手を打ち民の雇用の転換を図るのも、政官財の大事な役割ではないでしょうか。