学校教育の現場

もし教員人生を送っていたら?と、今でも時々思いますが、私たちの世代はオイルショック後の就職難で公務員を志望する連中も多かったように思います。中でも教員志望の連中が私の周りにも何人かいました。大学での教員免許資格は中学1級と高校2級の資格を取ったのですが、全国的に中学教師の採用枠は少なく、競争も難関で、すんなり教員になれる環境ではありませんでした。


そこで思いついたのが、留年して通信教育で小学校の教師を狙うという方法があったのです。小学校は普通、国立大学の教育学部の連中しか大体は受験しないことが分かっていましたので、私も経済的に可能であれば留年して通信教育の授業に専念することもできたのですが、様々な理由(ここでは省略)で腰掛でも就職して働くことを決断し、大学卒業後ある企業にお世話になり、通信教育の大学へも同時に入学しました。


結果的には仕事との両立が難しくて3年で中退してしまったのですが、大学の同級生たちは見事に卒業して小学校の教師になりました。もう古い話ですが、同級生の連中も今は小学校の校長になって、現在は定年退職を目前にして日々頑張っています。人生どうなるかわからないのですが、もし中学の教員に皆がなっていたら苦労が絶えなかったのではないかと想像します。


中学時代の唯一の親友で、福岡県で中学の教頭をしている同級生がいますが、当初、広島県呉基地自衛隊員の教官をして、後に福岡県の教員採用試験に受かり中学教師へ転向しました。教員時代の彼とは現在に至るまでちょくちょく会ってきましたが、「モンスター・ペアレント」という俗語が流行するほど中学教育の現場は大変だということを少しは聞いて理解しています。


どうして「モンスター・ペアレント」という現象が日本の教育現場に定着してしまったのか、かつて教員を目指していた者として公教育の現場の崩壊が残念でなりません。世の中が所得格差の社会になったからだとか、失業者が溢れて公務員という安定業種に対する妬みの現象だとか言われていますが、私はすべて家庭環境や家庭教育がもたらしたものだと考えています。


「モンスター・チルドレン」が誕生しないことを願うばかりです。恩師として仰ぐべき心が幼少時から育まれていなければ年長者を尊ぶ心も養われません。「鉄は柔らかいうちに打て」と言いますが、家庭教育から小学校教育までに心の教育を徹底してやるべきだと思うのです。知識をどんなに詰め込んでも、小学時代から受験勉強の競争をして、エリートの集う上位の学校へ進んでも、人間として何の価値もないような気がします。