彼岸の墓参り

彼岸時期ということもあり、ここ5日ばかり東奔西走の日々であった。地方もあいにく小雨模様の天気であったが、田植えを目前にした田んぼがあちこちに見られた。かつては多くの人手で田植え作業をしていたが、今は地方でも3ちゃん農業どころか、腰の曲がった老人が機械を使って苗を植える時代である。


跡取りの若夫婦も農作業は年寄りに任せて、外に勤めに出て現金収入を得るのが一般的である。地方の農家が廃れていくのも判るような気がする。一軒当たりの耕地面積が狭いのは今も昔も変わらないようなので、大規模集約の耕作といっても、農地改革にともなう法律を変えないかぎり実現は難しいだろう。


親戚筋や集落の住民も高齢化が更に進み、順番にこの世を去っているのが故郷の町の実情である。財政健全化や役所業務の効率化の意味で市町村合併も仕方がないが、地方の片隅の集落は今後も年々益々廃れていくことであろう。東京一極集中は日本経済の効率としては良かったが、地方経済を衰退させ、自立しようとする若い芽を抜き去ってしまった感がある。


しかし、都会での核家族化した家族におけるさまざまな問題も浮き彫りになっている。都会の一極集中は地価を上げ、地方との地価の格差をより広げてしまった。土地は活用しなければ流通しないので価値も生まない。狭い日本の国土であるが、地方にはまだ多くの土地が存在しており、未活用のまま放置されているのが現状だ。


地方を離れて随分年月が経つが、インフラが未整備だった昔のほうが、町の活気もあり、若者が多く居住し、活性化していた。残念ながら昔の光景を取り戻すことは不可能であろう。あこがれで都会へ飛び出して来た私たちも、地方活性化のために何か事を起こすことが必要な気がする。


今回の彼岸の墓参りは、地方の課題をまた感じさせられたひと時であった。