嘘のない世の中をつくろう!

我が社には社訓らしきものは壁に飾ってはいないが、古くから居る社員の中にはひょっとしたら経営者の性格を見抜いて「嘘をつかないこと」という経営哲学なるものを感じている人もいるかもしれない。私自身、風光明媚で、のどかな田舎で育ったせいか、自分でも純粋で嘘のない主張や考えを大事にしている。都会で長く育った人も同じ考えだとも思うが・・・。


世間には「嘘も方便」という格言を誤解している人が多いのではないだろうか。「嘘も方便」とは、事を円滑に運ぶためには、嘘が許される場合もあるということ。「方便」は、衆生を悟りに導くために仏が用いるさまざまな方法という。「嘘も重宝(ちょうほう)」とも言われる。しかし、昨今の世の中の企業不祥事や犯罪事件のことを聞くたびに、許されない虚言を吐く人間がこんなにもなぜ増えたのだろうかと思う。


私の趣味の一つに推理小説があるが、海外サスペンス物から西村・山村・内田シリーズといった作品は文庫本やテレビ製作物でほとんど観てしまったのではないかと思うくらい虜になる。このようなサスペンス番組が人気を博すのも考えものだが、個人的には推理を働かせる上で多少は役に立っているのかもしれない。「事実は小説より奇なり」というが、実際の犯罪事件は小説のように簡単には解明されないのが現状だろう。


言いたいことは、嘘のない会社が我が社でありたいということである。社風を大事にするために、嘘を平気でつき、人を容易に欺く人間に社員として働いてほしくないと考えている。本来、家庭や学校で嘘をつかない誠実さを教え込まなければならないのだが、大人の世界でも平気で世間を欺く光景を子どもたちが見ていると、子どもの教育どころの話ではない。犯罪事件が解明されなかったり、冤罪が生まれるのはすべて人間の嘘が原因となっている。


職業上、初対面の人を面接したり、初対面の人に連日のように会う機会があるが、人を見抜くことの重要性をいつも感じている。多少は推理好きの効果があればいいのだが、それより我が社の社員には嘘をつかないことを訴えていくしかない。小さなところから世直しをすることにより、段々に世の中に広げていくしかないと思う。ご賛同いただける方には大人自ら実行してほしいものである。