政治犯の釈放

日本も60年安保闘争学生運動が盛んな時代があった。私の学生時代も70年初期であったが、学内は学生運動の火種が残っており、学年末試験の妨害などは頻繁に行われていた。中国やミャンマー民主化運動と違い、一般庶民が賛同できるような運動ではなく、過激な闘争で周囲の混乱を招くような行動であった。


日本国の場合は、運動家が殺人事件でも引き起こさない限り無期限の投獄などはありえない。安保闘争などの学生運動は当時多くの学生が体験しているし、器物損壊や傷害事件を起こさない限り、投石したくらいでは逮捕されることはなかったはずであるから、日本国のほうが大人としての対応だったといえよう。


一方、中国やミャンマーでは民主化運動をするだけで逮捕監禁され、事の次第では無期限で投獄されることもありえるので、強権的な政権とも言える。軍事政権下では民衆の集団的運動が一番厄介だと考えているらしい。本来、まともな政権であれば民主化運動に対して威圧的な取締りをしないはずである。


ソビエト民主化運動に対して圧力をかけてきたし、いまだに軍部独裁政権の国では民主化など程遠い国の存在がある。かつてはポルポト政権など民衆の大量虐殺も厭わない政権もアジアには存在した。今日の新聞にも中国の民主化運動家の米国への亡命話が掲載されていたが、大国といえども自由に物が言えない国は尊敬に値しない。


ミャンマーが急速に民主化へ動き、世界に開かれた国へと変貌しつつあるようである。敗戦国でも今は平和な日本が、これからも国際貢献のために民主化運動に堂々と理解を示す国であってほしいし、運動を積極的に支援する国となることを期待したい。自己主張しながらも国際関係をうまくこなせる国にならなければならない。