必要悪

先日、全国のいくつかの地方の町で原発建設を問う首長選挙が行われていました。結果的には原発推進派が勝利し、3月11日の福島第1原発事故以来、着工が滞っていた工事の再開が容認された形になったわけです。選挙に当選した町長が「原発は必要悪だ」とはっきり宣言していましたが、推進派にとっては原発誘致の交付金が生活の糧となり雇用の確保に繋がると判断してしまうわけです。

一方、あまり恩恵を受けない漁業関係者などは漁業資源を守ることや生活権を奪われることを盾に真っ向から反対となる訳です。結局、皆、必要悪と言いながら巨額の原発交付金で町が潤うことへ住民の意思も次第に導かれてしまうのです。自治体と電力会社の癒着はある意味でお互いに「必要悪」というリスクを自らもたらしているものと思われます。

暴力団排除の条例執行も、北九州などでは反動が出て住民への嫌がらせが横行して、自治体や警察の対応が鈍くて暴力団の存在のほうが必要悪だと話す住民の 声も現実にはあるようです。法律が暴力団の存在を認めていること自体が矛盾する一方で、闇社会での抗争の秩序が一部で保たれているのも現実なのかもしれ ませんが・・・。

社会の仕組みには、一時的に妨げにはなるが長い目で見ると社会に恩恵をもたらす出来事が多々あります。それを社会にどう生かして、将来どのような社会をつくろうとしているのかを、時間をかけてできるだけわかりやすく説明して住民の理解を得ることが必要だと思います。「必要悪」を認めるにしても、一方的に強行するだけでなく話し合いが重要だということです。