いじめの問題に思う

未だに中学校における「いじめの問題」が頻発していることに考えてみようと思う。私の親友の一人が福岡市内で中学校の教頭をしているが、日々、クレーマー親の対応で疲れたとこぼしている。彼の子どもたちも両親の苦労してきた後姿を見てきたので、教員だけはなりたくないと話していた。


なぜ陰惨ないじめの事件が絶えないのだろうか?原因は経済的格差などいろいろあろうが、親と子どもの間に立つ教員の指導力に限界が来ているのではないかと想像する。全国にはうつ病で休職する教員が多数存在すると言う。肝心な教員が精神的疾患で登校不能となる現実も問題であろう。


体罰一つでも社会的に問題になる昨今なので、家庭で甘やかされた生徒を学校で躾けるのは困難に等しい。しかし、親は子どもの躾けは学校に責任があると勘違いしているようである。本末転倒であるが、いじめの問題も、家庭や学校が子ども間の問題を放置してきた結果だと思う。


生徒が自殺にまで追い込まれる事態に至らないようにするためには、人生経験の長い民間人を日々の生徒指導に生かすことではないかと考える。団塊世代の方たちは、体罰やむなしの時代に厳しく指導を受けた方たちばかりであるので、人を育てることに関しては長けている。


私たちの世代は、中学・高校時代には何度となく教師の手が飛んできたのが当たり前だったので、厳しかった教師のお蔭で、皆立派な成人に成長した。しかし、現代はそんなことも不可能なので、時間をかけ、じっくりと子どもに言って聞かせるしかない。それができるのは人生経験の豊富な年配者しかいないだろう。


国や都道府県の教育関係者は待ったなしで、長年の懸案であるこの問題に対処してほしいと願っている。