落し物

人間誰しも落し物をよくすると思う。人それぞれ大事なものを落としたり、探すほどではないそれほど大事とも思われないものによって人の探そうという行動は変わってくる。私もこれまでいつも使っている大事な手帳を落としたりしたことがある。中には手帳に控えている名前を見て、心ある親切な人が連絡してくれたこともある。


バスの中で落し物をして遠方まで引き取りに行ったことも何回かある。落し物を探す上で重要なことは、どこに落としたかを落とし場所を確定することである。つまり、落とした日の行動を冷静に辿り落とした箇所を絞り込むために想像力を発揮することである。物によっては落し物が出てこない場合も多いが、日本人は比較的良心的で、他人のものであれば落とし主が困っているだろうと届けてくれる人が多いと思う。


私自身も財布のような貴重品を落としたことは記憶にないが、現代のようにクレジットカード社会だと財布を落としたら手続きなどの処置が大変だろうと想像する。とは言え、財布を持ち歩かないわけにもいかないので落とさないように常々自分自身が注意するしかない。自らにも言えるが、人間も年をとってくると忘れやすくなり、家の中で物を置いたところを覚えていないことが多い。


探すほど時間ばかりが過ぎていくが、家の中でさえ物が見つからないことが多い。夫婦でお互いに物忘れが多くなったらどうしようと思ったりもするが、家族の中でも「断捨離」を明確にして行動することも必要な気がする。確かに若いときに比べると、どこにしまったか忘れてしまう場合が多い。


実は先週、都内でのある講演会に出席したときに落としたらしいと思い、諦めてはいたが念のために主催者側に確認の電話を入れてみたら「見つかった」という話で送ってくれるようである。家内がいくらで購入したのかわからないが、特徴もある大事に使っていたペンなので見つかって幸いである。


しかし、万年筆を含め背広に差して随分これまで落とし物をしてきたが手元に戻ってきたことは少ない。これからは若いとき以上に記憶力も低下してくるので、常々気を払って落とさないように充分な予防措置を考えていきたい。拾っていただいて他人に感謝するばかりでは甲斐性がないので拾ってあげる立場になりたいものである。


最後に余談だが、20代の頃に地方から母親が遊びに来たときに、全財産の株券を風呂敷に包んで上京してきたことがある。母親の貴重な財産である株券を丸ごと電車の吊り棚に忘れ、下車して後から気づいて母親にひどく叱られたことを記憶している。当時は証券会社で預かることもなかったのか、母親は遠方に行くときは肌身離さず持ち歩いていたようである。(今、考えると笑い話だが、当時は笑うに笑えないほど一大事であった)