電気の有難さ

大震災による原子力発電の停止で、電力供給不足が日常茶飯事になっているが、実際に今回の計画停電を数回経験してみて、電気の有難さを改めて身にしみて感じた。
電気のない生活を経験して不自由な生活をしてみると、如何に贅沢三昧に電力の消費を行っていたかを実感する。

このような経験もたまには必要ではないかとさえ思った。今やあらゆる家電製品が家の中に溢れかえっているが、蛇口をひねれば出る水道水のように電気の使用をとらえていた。
文明生活は慣れてしまえば当たり前となり、なかなか昔の生活に戻ることは辛くなる。

田舎で過ごした小中学校時代は、風呂を入れるのも子どもながら嫌な役割だった。
まず井戸から水をバケツで何回も運んで、水を入れ終わったら風呂焚きである。
時間までは覚えていないが、風呂に入るまで1時間以上は掛かっただろう。

お風呂も家の外だったので、冬場は相当身体が暖まらないと湯冷めをして、かえって風邪を引きかねないので、家族からのぼせるほど長湯させられたりしたこともある。
とにかく今の文明生活と比べると不便な生活だったが、風呂も釜戸も燃料はマキでいくらでもタダで自由に使えたので逆に贅沢だったのかも知れない。

もし昔の生活をするとしたら、照明などは太陽光発電でまかなえば充分な生活を営めるだろう。